コンテンツにスキップ

旅するTRAVEL

広島 原爆ドーム・平和記念公園Hiroshima Atomic Bomb Dome & Peace Memorial Park Hiroshima Atomic Bomb Dome & Peace Memorial Park

原爆ドームと平和公園は、廿日市・宮島とともに広島観光では必ず訪れたい

広島に来たら必ず訪れたい 原爆ドーム・平和記念公園

 

過去から引き継ぎ、未来へと伝えていかねばならない人類共通の遺産・世界遺産。広島には、この世界文化遺産がふたつもありますー廿日市市の宮島・厳島神社と、広島市内にある原爆ドームです。

江戸時代、大阪と下関/太宰府をつないだ幹線道路・西国街道(旧山陽道)は廿日市を通り、広島城下、現在の広島市中心部を通るようになりました。明治、大正と時がすすむ中、この西国街道と後に埋めたてられた宇品港を中心に、広島は大きく発展。大正4年(1915年)には、チェコの建築家のヤン・レツル設計の広島県物産陳列館(後の「広島県産業奨励館」すなわち原爆ドーム)が建てられ、1921年(大正10年)には第4回全国菓子飴大品評会(現在の全国菓子大博覧会)が開かれるほどでした。西国街道を中心に発展を続け、産業奨励館からも程近かった中島本町(なかじまほんまち)など中島地区は、商店や旅館、カフェ、料亭、民家、お寺、映画館などが集まり、4000人以上が暮らす大変賑やかな地域となりました。

昭和20年(1945年)86日、原子爆弾は広島県産業奨励館から南東約160メートル、高度約600メートルの位置で炸裂。その爆風の圧力は1平方メートルあたり35トン、風速は440メートルという凄まじさでした。そして、広島県産業奨励館は骨組みのみを残す現在の「原爆ドーム」の姿となり、街全体が爆心から400m以内にあった中島本町は、一瞬にして跡形もなく消滅してしまったのです。

平和記念公園は、被爆後、昭和24年(1949年)8月6日に公布された「広島平和記念都市建設法」に基づいて、爆心地周辺を恒久平和の象徴の地とすべく整備され、昭和30年(1955年)に完成しました。ここ、平和記念公園では毎年8月6日には平和記念式典が開催され、原爆が透過された午前8時15分には黙祷が捧げられています。また、夜には原爆犠牲者の魂を悼む、とうろう流しも行われます。

公園内には、原爆ドーム、広島平和記念資料館、平和の願いを込めて設置された数々のモニュメント、被爆したアオギリなどがあり、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文がきざまれた原爆死没者慰霊碑の前には、祈りを捧げる観光客の姿が昼夜途絶えることはありません。

平和記念資料館では、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す様々な資料や、広島の被爆前後の様子などが展示されており、被爆者による被爆体験講話会なども実施されています。

原爆ドームは1996年、「広島平和記念碑(ヒロシマ・ピース・メモリアル)」として、ユネスコの世界文化遺産に登録され、今も被爆直後のその姿のまま、戦争の悲惨さを伝えています。

平和記念公園と原爆ドームは、当時から唯一変わらず流れ続ける元安川に沿って散策できるようにも整備されているので、観光の際には、ゆっくりと時間が過ごせるよう計画をたててくださいね。平和公園と宮島を川と海で結ぶ水上バスも運行しており、広島電鉄の駅も近いので、廿日市方面へのアクセスも簡単です。