コンテンツにスキップ

史跡・神社・仏閣Historical landmarks/ Shrines/ Temples

宮島口 赤崎Miyajima-guchi Miyajima-guchi

宮島口の歴史を知る「赤崎」

宮島に暮らした人々が 死後懐かしい宮島をのぞんだ場所 赤崎

 

古くは「赤崎」と呼ばれていた宮島への玄関口、宮島口周辺。※1 

宮島に住んでいる人は亡くなっても島内には埋葬が許されておらず、それゆえ対岸で宮島をのぞむ赤崎に、お墓が多く建てられていました。赤崎の赤は「血の色」ともいわれ、「墓崎」が「赤崎」に変わったとも言われています。

当時の宮島口は狐が住むような草原で、JR宮島ロ駅前から桟橋に到る宮島商店街の一帯には大きな墓地があり、その横をわずかに小さな道が海に向かって延びているだけの寂しい場所でした。

しかし、明治5年(1872)に東京・横浜間で開通した鉄道は明治30年には広島・徳山間で開通、宮島駅(現在のJR宮島口駅)が設置されます。この当時の大野村長・中丸次兵衛氏は出来たばかりの駅前に残っていた3000基余りのお墓を、6年の歳月をかけ御室山に移転しました。お墓の跡地は駅前大通となり、宮島への玄関口となる桟橋や船着場が作られ、現在の姿となっています。

また、当時墓地だった名残から、現在でも宮島口の多くの土地は、駅の北方にある曹洞宗延命寺の土地となっています。

※1 佐伯郡廿ケ村郷邑記(文化3年1806)に記載