コンテンツにスキップ

ショッピング・お土産Shopping / Souvenirs

けん玉Kendama Kendama

広島・廿日市の歴史を支えるけん玉。県内アンテナショップでも販売されています

けん玉発祥の地 廿日市

 

子供の頃、誰でも一度は手にしたことのあるけん玉。なかなか玉がのせられなくて、一生懸命練習した思い出は、もしかしたら日本人に共通の懐かしい心の風景なのかもしれません。

ここ廿日市は、日本のけん玉の発祥地と言われています。
もともとけん玉のルーツは江戸時代、外国から長崎へ伝えられたと言われています。残された記録から、西洋ではすでに16世紀から遊ばれてたと考えられ、紐付きの穴のあいたボールを、手に握った軸にさすという単純な遊びながら、フランス語ではbilboquet(ビルボケ)、英語ではcup and ball (カップアンドボール)として大変親しまれ、フランス国王アンリ3世まで好んで遊んでいたと記録に残っているほどでした。

現在のけん玉の元をつくったのは、広島県呉市出身の江草濱次さんという方です。
明治のころ日本で親しまれていたけん玉は、西欧のビルボケ型から展開し、棒の上下に受け皿がつき、紐のついた玉を皿にすくって遊ぶものでした。これにビルボケのような軸を組み合わせ、現在のけん玉の形をつくった江草さんは、このけん玉を「日月ボール」と名付け、大正8年に実用新案として登録しました。

「日月ボール」の普及のため、江草さんが訪れたのが、廿日市市のろくろ木工場・本郷木工でした。完全な球体に、受け皿の微妙なカーブ、手にそった握り手をつくるのには熟練した木工ろくろ(木工旋盤)の技術が必要です。それゆえ江草さんは、古くから木工のまちとして知られ、江戸時代から傘用ろくろなどのろくろ細工で発展し、明治時代には木工玩具の製造も行っていた、同じ広島県の廿日市の門を叩くこととなったのでした。

その後、大正12年から昭和5年頃までけん玉は全国的に流行し、やがては満州、台湾にまで販路を拡張しました。お土産物として人気が出たりと、最盛期には年間40万個以上のけん玉を製造、全国シェアの40%を占めていたとも言われています。

けん玉は、21世紀へと受け継がれる伝統工芸として、現在は廿日市市木材利用センターが見学・体験の場の提供、伝統技術の継承、後継者の育成を行っています。また、年に1回開催される「けん玉ワールドカップ廿日市」では、世界中からプレーヤーが集まり、腕を競いあっています。

けん玉は、広島県木材利用センターや一般社団法人 はつかいち観光協会などで販売しています。