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宮島杓子の始祖 誓真大徳の墓Seishindaitoku-no-haka Tomb Seishindaitoku-no-haka Tomb
Information
所在地 | 廿日市市宮島口2-5-11 (延命寺墓地内) |
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しゃもじ作りを宮島に伝えた 誓真大徳
誓真大徳は、杓子の製法技術を宮島の島民に教え、現在の宮島細工のもとをつくった人物です。
宮島の島民が生活できるように井戸を掘り、道を整え町並みに賑わいをもたらすなど、宮島杓子だけでなく、宮島全体に大きな影響を与えた誓真大徳は、宮島の恩人とも呼ばれています。
誓真大徳 は、25歳まで「村上大徳」として広島市大工町(現在の堺町付近)にて米屋を営んでいました。
ある日婦人が米を買いに来て、お金の代わりに小さな子どもの着物を出しお米に代えて欲しいと頼んできたそうです。その服はまだ温みがあったため理由を聞くと、寝ている子の着物を はぎ取って来たのだといいます。大徳はこれを聞いて哀れに思い、米を与え着物も返しました。そして、世にこのような不憫な人が多い事を思い、世の中を救おうと仏門に入る決意をした大徳は宮島に渡り、光明院・了単上人の弟子入りをしました。剃髪した大徳は「誓真大徳」となりました。
1800年ころの当時、宮島の人口は年々増えていっていたものの、収入が伴わず多くの宮島の民が貧困に苦しんでいました。そこで誓真大徳は自ら山に入り材を取り工夫をこらし、厳島大明神の弁財天の琵琶の形を元にした、なだらかな曲線をもつ杓子作りを宮島民に教えました。
この杓子の製法を島民に伝え、みやげ物として売らせたことが今の「宮島杓子」の誕生の由来となっています。
誓真大徳のお墓は延命寺の墓地の一画、古いお墓が並ぶ中にあります。