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山陽道 濃唹駅と万葉集・高庭駅家跡Takaniwanoumaya Nooeki Takaniwanoumaya Nooeki

歴史ある高庭駅家跡と濃唹駅後

万葉集ゆかりの歴史ロマン

 

廿日市大野を通る古代山陽道西暦645年・大化の改新後の日本では、律令国家として国土を区分すると、迅速かつ安全な往来のため良く知られている東海道をはじめとした7つの官道を敷きました。京の都から大陸との玄関口である下関までをつなぐため、現在の兵庫から広島、山口と瀬戸内海沿岸を通る道として敷設されたのが、山陽道(古代山陽道)です。


おおいなる古代のロマンを感じさせるこの山陽道は、廿日市大野町高畑の薬師寺堂付近を通っており、濃唹駅(のおえき)の跡であり、万葉集に「安芸国佐伯郡高庭駅家」と記されている高庭駅家(駅家・うまや)の跡だと言われています。


万葉集にのっている山上憶良(やまのうえおくら)の歌「出でて行きし日を数へつつ 今日今日と 吾を待たすらむ 父母らはも」は、肥後国益城郡(ひごのくにましきごおり)の人、大伴熊凝が役人のお供をして都にのぼる途中、天平3年(731年)6月17日に安芸国佐伯郡高庭駅で病気にかかり、18歳の若さで家郷の父母を慕い嘆き悲しみながら息を引き取ったという事実を聞いた山上憶良が、その心中を歌にしたものと言われています。現在駅家のあった場所にはこの歌を刻んだ歌碑がたっています。


駅家(うまや)には、駅馬(はゆま:公の使いをするものが乗り継いでいくために用意された急用の馬のこと)を5~20馬を置くことが定められており、廿日市・大野のこの場所には多くの古代の物語があったことでしょう。


山陽道のうち、安芸国にはその後駅家の移動が見られ、延長5年(927年)完成の延喜式には 濃唹駅(のおえき)の名が載っていますが、これは高庭駅家が廃止された後に、同所に濃唹駅が建てられたためと考えられています。


山陽道(後の西国街道)をたどる散策で、宮島や厳島神社とはまた一味違った古代の日本の歴史を感じる観光もおすすめですよ。

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