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神社・仏閣Shrines & Temples

任助親王御墓Ninnyoshinno-Ohaka Tomb Ninnyoshinno-Ohaka Tomb

任助親王御墓

今上天皇につらなる、宮島口を愛した皇族 任助親王墓所

 

任助親王は16世紀を生きた皇族で、兄にあたる伏見宮邦輔親王は現在の天皇に直接連なる皇族です。

任助親王も、奈良天皇の御猶子(現在の養子にあたる)でした。

皇族に産まれた任助親王でしたが、天文8年(1539年)御年15で出家し、京都の真言宗御室派の総本山・仁和寺の門跡(後継者)になりました。晩年に九州へ法流宣布に向かう際、同宗派の宮島・大聖院へも立ち寄ったところ、師の死後あとをついでいた、現在の座主/住職にあたる要職・大聖院良政がまだ年若く、その教授のためしばらく宮島に滞在することとなりました。

やがて人びとから「厳島御室様」「室様」と敬い慕われるようになった任助親王ですが、そのまま宮島にて病に伏せ、座禅のままお隠れになってしまったのだそうです。生前の任助親王が、宮島の対岸である現在の宮島口付近・赤崎を愛したことから、現在の場所を墓所とし、桜の木も植えられたと伝えられています。

昭和16年には、宮内庁より正式に墓所と確認、決定されました。

お墓の正面には「厳島御室」、右面に「天正十二年甲申歳十一月二十九日」(天正12年 = 1584年)、五輪塔の中央水大には梵字で「阿」の字を刻んであり、大野町に現存する金石文(きんせきぶん:金属や石などに記された文字資料)では、一番古いものとなります。

厳島神社所蔵「厳島図会」より
「御法流御再興の御志深おはしましたにより年藪行脚の墨染に御衣をやつし給ひ玉敷の都をあくがれて西国のかたに御下向あしに 当島大聖院良弁の遺弟良政幼にして法務に堪えざりしかば 示諭教授の御為につひに此の島に御留錫なしたまひたり 世こぞりて厳島の御室と称し奉りぬ」

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