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上田宗箇流流祖の遺髪塚Ueda Soko no-haka Grave Ueda Soko no-haka Grave
Information
所在地 | 日本、広島県廿日市市大野原1丁目4−31 上田宗箇(重安)遺髪塚 |
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秀吉に愛された武将茶人 上田宗箇の遺髪が眠る
茶道・上田宗箇流茶の流祖として知られる茶人であり、秀吉につかえた戦国武将・上田宗箇のお墓です。
豊臣秀吉に仕え、数度の戦功により豊臣の姓までもらった宗箇は、その後大坂夏の陣などでも敵の猛攻を阻む大功を挙げ、徳川家康から激賞されるほど活躍。元和五年 (1619) に浅野長晟の芸州入りに従って来広すると、広島県西部を一万二千石で領し、長晟の命により、泉水館(今の縮景園)の作庭にとりかかります。
その後家督を二代目重政に譲ってからは茶の湯三昧の晩年を過ごし、慶安3年(1650年)5月に88歳で没しました。
遺骸は遺言により、大野村(旧 大野町)串山で火葬にし、遺骨はこれを砕いて
大野瀬戸に流しました。この場所には、墓石のかわりに遺髪を埋めて塚とし、松の木を一本植えました。
武将として、そして茶人として時代を生き抜いた上田宗箇。宗箇が残した縮景園は、現在では広島市内の観光では欠かすことのできない観光名所として知られており、また上田宗箇流は、現在は第16代上田宗冏家元が受け継ぎ、世界中に茶の素晴らしさを伝えています。
茶の道を志す人であれば、ぜひ宗箇が遺言とした大野・瀬戸内海の景色とともに、この場所に手を合わせにきてはいかがでしょうか。