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史跡・神社・仏閣Historical landmarks/ Shrines/ Temples

残念社Zannensya Shrine Zannensya Shrine

不思議な名前で広島はもとより全国でも知られる残念社。歴史を感じる観光スポット

広島県民の不思議「残念さん」 幕末の歴史を伝えてくれる

 

瀬戸内海を眺めながらの廿日市ドライブで、目に入ったら絶対に「??」となってしまう「残念さん」の看板。

何があるかは道からは見えないので、一体なにがあるんだろう・・・と思ったままになっている人も多い、いわば広島県民の不思議スポットのひとつです。

「残念さん」は実は、「残念社」とも呼ばれる祠なのですが、その由来は、なんとあの幕末。

幕末と言うと、坂本龍馬や西郷隆盛の名前がすぐに頭に浮かぶかもしれません。この二人が関わった薩摩藩と長州藩の薩長同盟は、倒幕派として時の幕府と戦うことになりますが、その幕末の歴史の中で、なんとここ、廿日市・大野が戦場となった戦いがあったのです。

長州藩が天皇を中心とし外国を打ち払う尊皇攘夷を掲げたことから、江戸幕府は長州征討を敢行。元治元年と慶応2年の2度に渡り起こったこの戦争の中で、廿日市大野の滝の下付近と四十八坂は激戦地となり、何度も激戦が繰り返されました。

1866(慶応2年)7月9日の長州戦争のさなか、東西の攻防の大決戦場となっていた大野・四十八坂一帯。宮津藩士・依田伴蔵は、幕府軍から和平について伝えるべく、ひとりで長州陣営に向かっていました。ところが和睦の使いとはわからなかった長州の隊士に敵として狙撃され、和平の文を渡せないまま「残念・・・!」と言い残して息をひきとってしまったのだそう。その後、和平を伝えるという大きな任務をはたせず亡くなったこの武士を悼み、土地の人は「残念社」として祠をたてたのだそう。

この他にも、大頭神社の入り口には、長州討伐の戦いで命を落とした人々をまつった千人塚など、幕末に関わりのある史跡があり、多くの逸話が残っています。宮島の対岸が幕末動乱の戦いの舞台であったことはあまり知られていないかもしれませんが、宮島とはまた違う幕末の歴史を紐解きながら、ぜひ散策してみてくださいね。